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愛知歴史探訪🦀 新撰組編2
こんにちは。都タクシーブログ担当のノロです。
以前もお話したかもしれませんが、
この歴史探訪で戦国時代史を多く取り上げている私ですが、
本来好きなのは、幕末史で、戦国史については幕末史ほどくわしくありませんでした。
ですが、こちらのブログを書くにあたり、いろいろ調べているうち
知らない間に戦国史にもわりと詳しくなっていく自分がおります。
……というか、久しく幕末史に触れておりませんので(大河ドラマも戦国、源平・鎌倉、そして次も戦国ですので)
幕末史を少し忘れかけております。
そんなとき、訪れたのが、今回ご紹介するブログの場所です。
場所は、愛知県の蟹江町。
しかし、実際行ってみたはよいのですが、目的の場所はなかなかわかりませんでした。
仕方なく、蟹江町の観光協会へ聞き込み。
観光協会の方は
「ああ~わかりにくい場所にありますからねえ」と仰って、
わざわざ案内してくださいました。
観光協会の方の案内に導かれていくと、
こんな看板が。
おお、やっぱりあるんだあ。という感じでした。
そうです。今回は新撰組のとある隊士の紹介です。
新撰組はご存知のかたも多いと思いますが、幕末期に活躍した武装集団です。
主に京都で討幕派を取り締まる警察のような役目を果たしていました。
小説やドラマに取り上げられることが多く、学校の教科書に登場しないのにも関わらず
歴史好きのなかでは、大変な人気があります。
以前、こちらのブログで岡崎市に新撰組の局長である近藤勇の首塚があることを
ご紹介いたしましたが、(この時は???編としていましたが、新撰組編の1とお考えください)
蟹江町にも新撰組の隊士のお墓があるのです。
案内してくださった観光案内所のかたは、
「住宅街にひっそりとあるので、わかりにくいんですよ」と仰っていましたが、
本当に住宅街のなかにひっそりとありました。
こちらの隊士は、佐野七五三之助(さの しめのすけ)という平隊士の方です。
平隊士と言っても、新撰組ではなかなかと難しい立場であったようです。
お墓の横にこの方の解説が書かれています。
実は新撰組というのは、内部分裂を起こしておりまして、
その中心人物に、新撰組発足当初の参謀であった伊東甲子太郎がいます。
伊東甲子太郎は、近藤勇らとたもとを分かち、
御領衛士を発足させますが、この伊東甲子太郎とともに新撰組に入隊した七五三之助は、
伊東の密命を受けて新撰組に残っていたようです。
結局、七五三之助も、新撰組から脱退し御領衛士に加わろうとしたのですが、
新撰組の厳しい取り決めにおいて、自刃したと伝えられているそうですが、
こちらには諸説あり、自刃したあとも一旦蘇生し、
検死にやってきた大石鍬次郎という隊士にに斬りかかったともいわれています。
さて、このお墓にお参りしたあと、私はもう一度観光協会に戻り、
案内のお礼をしたところ、そちらに新撰組の衣装をいた人形があることに気づきました。
「写真を撮っていいですか?」と聞くと、
「七五三之助もよろこびます!」と観光協会の方も言ってくださいました。
史跡巡りをしていると、どうしてもわかりにくい場所が多く、
地元の方に道を聞くことが多々あります。
そうした時、皆さん、大変喜んで案内してくださいます。
そういったコミュニケーションも、史跡巡りのひとつの醍醐味なのかもしれませんね。